下諏訪町出身のすばらしい建築家

みなさまこんにちは。

今年もあっという間に半年が過ぎ7月に入りました。

いよいよ梅雨もあけて連日暑い毎日が続いています。

今月もアップが遅れてしまったのは7月中旬に弊社の情報誌”すわっこ通信”が発行されるため、まずそちらを優先して私は原稿を執筆していたためです。締め切りぎりぎりにならないとエンジンがかからないのは、小学校からでして・・・宿題とか夏休みの課題とか、大人になっても性格はかわらないのかと思う次第です。

さて、今月は下諏訪で育った建築家 伊東豊雄(とよお)さんについて少し書いてみたいと思います。

1993年(平成5年)弊社が施工した下諏訪町の赤彦記念館の設計者で興味をずっと持っていたのですが、たまたま東京の書店で本を見つけ、改めて他の作品や生い立ちを知ることが出来ました。最近では松本市のまつもと市民芸術館の設計でも有名です。

ご本人は昭和16年(日米開戦の年)韓国の京城(現ソウル)に生まれ、父親の郷里が下諏訪町だったことで、1歳半から中学まで今の高木に住んでいました。当時はしゃいな野球少年だったようですが、諏訪湖でスケートや水泳、魚とりなど、やんちゃな少年時代を過ごしたようです。特徴のある水平を大事にした建築は、諏訪湖上を毎日見ていたことで培われたのではないかと言われています。残念ながら小学校6年で父親を亡くし母、姉に援助をうけながら東京に出て行きます。


下諏訪町 少年時代のページ


現在のご本人

学生時代から相当の秀才だったようで、高校は都立日比谷高校へ進学、東京大学建築学科に入学し、多くの個性的な仲間達に出会い、建築の面白さにのめりこんでいったことがこの道に入るキッカケでした。卒業後菊竹清訓氏の事務所に入り、4年後に独立、1971年のアルミの家、中野本町の家1975、シルバーハット1984の家へ続いていきます。熊本県八代市博物館1991で注目され、下諏訪町の赤彦記念館1993、せんだいメディアパーク1995のコンペを勝ち取りました。



赤彦記念館(弊社施工 JV)   せんだいメディアパークの表紙

 

私の印象は、大型物件も非常に軽く感じるところです。なぜかと考えると、開放的な空間、ガラスやアルミを多用しているので、軽い建築にみえるのかと思います。コンセプトがよく練られているため、意図を感じます。

たしか赤彦記念館は、諏訪湖に浮かぶ船と、対岸からみた山と湖のつくる地形の流れを一体化、建築化したとのコメントでした。

そういえば対岸から見たとき、山と道路に調和して視線をさえぎらない、景観に溶け込んだそんな建物に見えます。

その後も、まつもと市民芸術館2004、TOD’S表参道ビル2004など話題の建物を建築し、今は世界でコンペの指名を受け、トーレスポルタ・フィラ スペインバルセロナ2010の作品を残しています。

どの作品も個性的なので、雨漏りの原因となる雨仕舞(壁屋根から水が入らない収まり)やコンクリート型枠の作成など施工業者の力量が必要となると思います。両者の協力があってはじめて良い建築になったと思います。

地元から世界に認められた建築家を輩出したことは誇らしいです。学生時代や修行時代を通じて寝ずに苦労されたことが、今の結果に繋がっていると改めて認識しました。才能もあると思いますが、ある量を超えて仕事をすることが、どの世界でも一流となる共通項と思います。ひるがえって自分を見つめるとまだまだ足らないということも自覚しました。

これからも、伊東豊雄さんに注目していきたいと思います。

今月は暑い日が続きそうです、ご自愛ください。


前に東京出張で撮ったTOD’S表参道ビル

外壁とガラスの収まりがすごい。