アトムのマンホ-ル

興味深い記事を発見しました!

下諏訪町が鉄腕アトムのデザインマンホ-ルを制作・・

ほおう

 

長野日報WEB記事より

ほんとだ!

しかしなぜ下諏訪でアトム??

長野日報さんのWEB記事を読み解きますと・・

アトムの作者にして ”マンガの神様” といわれる手塚治虫さんは、

かつて諏訪大社下社の神職最高位「大祝」(おおほうり)であった

金刺盛澄さんの弟である手塚太郎光盛さんの子孫にあたるそうです。

そのことが縁で下諏訪町と手塚プロダクションが連携

今回こうして見事なデザインマンホ-ルができあがったというわけです👏

このマンホ-ルは諏訪大社下社秋宮、春宮それぞれに設置されるそうなので、

こいつは見逃せませんぜ!

さてさて、偶然にもここで「金刺盛澄」さんの名前が出た以上、不肖小松が

ほんの少し前に知った金刺様のお話をしなければなりますまい・・

 

今年の初詣に諏訪大社下社秋宮に行った時のこと

旧山王閣駐車場に車をとめ、お参りをすませ帰ろうとした所、おお!

白樺と青空がきれいだなあ んん? この馬に乗っている御仁はどなたかな?

 

なんと躍動感あふれる馬でしょう

その馬上で弓をつがえるこのお方こそが

 

土台の石にはめ込まれている説明板を読んでわかりましたよ

このお方こそが、諏訪大社下社の大祝にして諏訪武士の統領、金刺盛澄様だったのです!

 

なんという凛々しいお姿

説明板に加え、各種資料を読んで知りました盛澄様とは・・

1180年 木曽義仲が源頼朝を討つべく挙兵

かねてから義仲様とは仲がよかった盛澄様は ”助太刀いたす” ということで従うが、

義仲様は敗れる

当然、盛澄様も源頼朝に捕らえられ処刑されることに・・

しかしこの時、盛澄様を預かった梶原景時が源頼朝に進言

「なんでもこやつ とんでもない流鏑馬の名手みたいですよ」

すると源頼朝

「ほおう それでは見せてもらおうか 諏訪武士の統領とやらの実力を

処刑するのはその後でよい」

それで鶴岡八幡宮で催された流鏑馬に盛澄様登場💓

盛澄様、だれも乗りこなせなかった鎌倉一の暴れ馬を見事乗りこなし、

素晴らしい流鏑馬を披露

源頼朝

「こ、これはすごい!まさに諏訪明神の化身 現人神じゃあ」

ということで盛澄様は処刑されずに、鎌倉の御家人になったそうです。

 

盛澄様の流鏑馬見てえ・・

それにしても青空に白樺はよく合いますな🤟            小松 明