本を読んで知ったのですが、関ケ原の合戦の時、
徳川秀忠公の軍勢が上田で真田軍に翻弄されて、合戦に間に合わなかったというのは、
有名な話です。
この時、上田近辺にいた秀忠公に ”早く来い” という、家康公からの手紙が届いて、
あわてて関ケ原に向かったのですが、この時のル一トというのが、
和田峠から下諏訪に抜けて、木曽に向かうという、中山道ル一トではなく、
大門峠から茅野に降りて木曽に向かうというル一トだったそうなんです 💡
ということはつまり、あわてて関ケ原に向かう秀忠公の軍勢が諏訪を通ったということか・・
軍勢の数が4万近かったといいますから、すごい人数です。
おそらく甲州街道(今の国道20号線)を茅野から岡谷へと移動したのでしょうが、
どんな様子だったのかなあ・・
あらかじめ ”これから秀忠公の軍勢が通るから道をあけろ” とか
”飯を提供してくれ” とか、”事前通知” みたいなものはあったのかなあ・・
いきなり武者行列3万人以上が現れれば、そりゃあびっくりしますわ 😯
でも壮観だっただろうなあ・・
それで冬季オリンピックポスタ一の話の続きなのですが、
ええっと・・ 1972札幌までさかのぼりましたよね
左が1964インズルック(オ一ストリア) 右が1968グルノ一ブル(フランス)
インスブルックは前回話題にしましたが、1976年開催予定のデンバ一が開催前に辞退をしたため、
急きょ開催が決定されたいきさつがあります。
つまり1964年に開催してその後、2大会おいて再び開催 :::ico81:::
”困ったらインスブルック” ですなあ :::ico158:::
結露のため見えづらくなっています :::ico32:::
左が1956コルチナ・ダンペッツオ(イタリア) 右が1960スコ一バレ一(アメリカ)
ダンベッツオって言いづらい地名だなあ、と思ったらなんとなんと
次の次のオリンピック2026年の開催地が、
イタリアのミラノとこのダンペッツオの共同開催なんですよ :::ico45:::
つまり2026年の冬季オリンピックは、「ミラノ コルティナ・ダンペッツオ オリンピック」
これは無理だ :::ico9:::
おそらく ”ミラノ オリンピック” よくて ”ミラノコルティナ オリンピック”
こういう呼び名になるんだろうなあ・・
左が1948サンモリッツ(スイス) 右が1952オスロ(ノルウェ一)
あれですね
昭和20年代ですが、なかなかポスタ一は斬新ですなあ :::ico54:::
さて、ここまで戦後の冬季オリンピック
戦時中はどうだっかというと・・ そりゃあ中止ですわな
それで中止になった大会というのが、
1940札幌 1944コルチナ・ダンペッツオ
おお 札幌で開催予定だったんだ 😯
そういえば東京オリンピックも確か戦争で中止になったなあ・・ と思い、調べたら
なんとなんと :::ico75:::
東京オリンピックも1940年開催予定だったのです。
つまり1940年のオリンピックは、夏も冬も日本で開催予定であったというんですから、
これはすごいことでしたね :::ico27:::
1944年の大会は ”おなじみ” コルチナ・ダンペッツオ 🙄
戦前にやってきました
左が1932レ一クプラシッド(アメリカ)
右が1936ガルミッシュ=パルテンキルヒェン(ドイツ)
”おなじみ” コルチナさんの上がいました ❗
ガルミッシュ・・無理だあ :::ico88:::
”ガルミッシュ オリンピック” これで勘弁してください :::ico158:::
ついに第1回大会まできましたよ :::ico4:::
左が1924シャモニ一(フランス) 右が1928サンモリッツ(スイス)
第1回シャモニ一大会のデザインがすごい 💡
鷲かなあ・・ これはどういう意味合いがあるのかなあ・・
ふうう・・ これで全ポスタ一をコンプリ一ト
しかし1940年の ”日本ダブル開催” にはびっくりしましたよ :::ico17:::
ここから夕日に光る、鹿島槍ヶ岳がよく見えました :::ico35:::
ううん この角度もいいねえ :::ico5::: 小松 明