図書館で「空の声」という本を借りてきて読みました。
戦前から戦後にかけて活躍された、NHKのアナウンサ一和田信賢さん
まだテレビがなかった時代ですので、ラジオの実況アナウンサ一として
相撲中継などを担当されていました。
そういったこともあり、戦後日本が初めて参加を認められた1952年のヘルシンキオリンピックで
派遣アナウンサ一の一人に選ばれたのです :::ico24:::
しかし出発前から血圧が200以上あるという体調不良 :::ico32:::
慣れない飛行機の長旅、欧米の食事も合わず、きわめつけは北欧の白夜のせいで、
眠れず睡眠不足 :::ico32:::
どんどんと体が衰弱し、オリンピックが終わった後移動したパリで亡くなってしまいました・・
まあ、そんなあらすじの本だったのですが、印象に残った話がありました。
戦前の1936年にベルリンで開催されたオリンピック
この大会で競泳の前畑秀子選手が金メダルをとるのですが、その時の実況放送 :::ico95:::
”前畑ガンバレ 前畑ガンバレ 前畑ガンバレ 前畑勝った 勝った 勝った”
この放送に聞きおぼえのある方は結構いると思います。
この実況放送をされたのが河西三省さんという方だったのですが、河西さんはこの放送について
「あれはスポ一ツ実況のアナウンサ一としては、やってはいけないことだった」
このように和田さんに語っていたというのです。
つまりラジオでのスポ一ツ実況のアナウンサ一は、目の前に起きていることをありのままに詳細に
伝えることが最大の使命。
我を忘れて応援団の一員のように私情に走ったあの放送は、
アナウンサ一としてやってはいけないことだった・・ということなんです。
お話をされていることはもっともだと思いますが、
いやしかし ”語り継がれる実況” だったと思うんだがなあ
最近では長野オリンピックを思い出してください :::ico54:::
スキ一ジャンプラ一ジヒル
舟木選手と並んで日本チ一ムのエ一スであった原田選手
しかし原田選手はいつもハラハラさせてくれましたなあ
一本目が失速して ”ああああ” という状況 :::ico9:::
ところが二本目 ご存知のとおり原田選手はとんでもない大ジャンプをしたのです :::ico54:::
しかし飛行距離が伸びるほど着地も難しい
そこで着地寸前に飛び出した実況アナウンサ一の叫び :::ico95:::
”立て 立て 立ってくれええ”
今思い出しても熱くなりますなあ :::ico10:::
昨日は時刻表の3月号が発売されました ❗
毎年3月はJRグル一プのダイヤ改正があるので、欠かさず時刻表を買っているのです。
今年は・・ 目立った改正点がないなあ・・
そんな中、目についたのが :::ico95:::
JTB時刻表より
この車両、諏訪、松本地域を中心としたみなさまには、見覚えがありませんか ❓
”あずさじゃん” そう思われたでしょう
新しく 東京、新宿一小田原間に登場する特急「湘南」
この特急用の車両として、かつて「あずさ」に使われていた車両=E257系が、
リニュ一アルされて使われるのです :::ico75:::
資料画像
なんか今でも走っていそうなこの「あずさ」
まだそんなに老朽化してないのにもったいない・・ と思っていたのです。
生まれ変わって、湘南の海風を受けて走る :::ico7:::
山岳路線の中央本線からガラリと活躍の場所が変わりました。
うんうん ”彼” にとってはいいことなんでしょう
これはいずれ、特急「湘南」に乗りに行ってやらんとなあ・・
孫を思いやるおじいちゃんのような心持になりましたよ :::ico80:::
そうそう この3月で185系という電車が引退するんですよ。
特急「踊り子」に使われていた車両・・
諏訪地域の方には馴染みがないかと思いきや、さにあらず
資料画像
特急「はまかいじ」
土日を中心に横浜から横浜線経由で八王子 そこから中央本線で松本まで
一日一往復のみ運転されていたこの列車に185系が使われていたんですよ
小さい頃電車に乗るのが好きだった娘と、亡くなってしまった父と一緒に、
松本までたまあにこれに乗ったなあ :::ico63:::
お疲れ様 185系 :::ico158::: 小松 明